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<html>
<head>
<meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=UTF-8">
<meta http-equiv="Content-Language" content="ja">
<title> プログラミング・シンポジウム こと始め</title>
</head>
<body bgcolor="#CCEECC" vlink="maroon">
<p align="right"><a href="/">
「プログラミング・シンポジウム」</a>へ戻る
<hr>
<h2>プログラミング・シンポジウム こと始め</h2>
<hr>
<center>
「山内二郎先生 人と業績」から引用
</center><br><br>
<font color="blue">6.2 プログラミング・シンポジウム</font><p>
プログラミング・シンポジウムは,
山内先生が晩年の四半世紀に最も情熱を注がれた活動の一つであった.
このシンポジウムは我が国のコンピュータの草創期にあたる昭和35年1月に第1回が開催されて以来,
毎年1月に箱根付近で2泊3日の合宿形式で今日まで続けられ,
`箱根のシンポジウム'とか`プロ・シン'と呼ばれ, 親しまれている. <p>
<font color="blue">6.2.1 数理科学の総合研究</font>
昭和34年度文部省科学研究費において`部にまたがる総合研究'として,
`数理科学の総合研究'が認められた.
この総合研究はは昭和37年まで4年にわたって継続される.
数理科学という言葉はその当時まだ耳新しいものであったが,
これは純粋数学と応用数学のギャップを埋め,
また特に計算機の研究と計算機を使って研究を行なう新しい学問領域を指すものとされた. <p>
<pre>
`数理科学の総合研究'は彌永昌吉教授(当時東大理)を研究代表として
I. 数理科学の方法論的研究
II. 物理数学の近代解析的研究
III. 非線形問題
IV. 計算機のプログラミング
V. 制御過程の基礎理論
VI. QueusおよびGamesの理論的・実験的研究
</pre>
の6班から構成され, 各班毎に研究を深めると同時に,
相互に問題を提供し合い協力してこれを解決することにより, 視野を広め,
総合研究の実をあげようとするものであった.<p>
第IV班は計算機の応用という点でこの総合研究の要となるものであったが,
山内先生は研究分担者としてこの班の総括を担当された.
なおこの班の運営のために運営委員会が設けられたが,
その構成は次の通りであった(敬称略). <p>
<pre>
委員長 山内二郎
委員 大泉充郎, 高橋秀俊, 森口繁一, 喜安善市(後に池野信一と交替), 宇野利雄,
黒田成勝, 城 憲三, 清水辰次郎, 柴垣和三雄 (以上何れも総合研究の研究分担者)
</pre>
この班の研究目的は, 文部省に提出された研究計画書に次の通り記されている. <p>
近年計算機の必要性の急激な増大と, 計算機械の理論の発達,
エレクトロニクス方面の実用的成果とによって,
計算機械の設計・製作が著しく向上し, 各所で種々の特長を具えた計算機械が誕生し,
また誕生しつつある. <p>
しかし, 計算機械の製作される本来の目的である自然科学の研究の促進,
工学上の問題の実際的解決,
社会現象の科学的分析等における非創造的部分のすべて及び創造的部分の一部から人間の頭脳と手を解放し,
人間自身がより高度の活動にたずさわることを可能にし, また自然科学, 工学,
社会科学等において,
人間の労働では時間的に不可能であった問題の解決を速やかに行わせることは,
すべての数理科学の問題であって, しかも計算機械本体の研究・製作と同様か,
むしろそれ以上に重要である. これがなければ,
将にこぎ手とオールのないボートを池中に浮かべたのに等しいといわなければならない.
なぜならば, 誕生しただけの教育を受けない計算機械は, 自から問題をとりあげ,
それを解決し, 目的とする解答を与えるということはできないからである. <p>
計算機械のプログラミングとは, 問題または問題群が提出されるごとに,
研究者によって考案されたその解決方法を,
計算機械の行うことのできる演算操作に逐一分解し,
計算機械の解釈できる記号に翻訳して総合し,
計算機械が機械的にその手順に従って動作すれば,
目的とする正しい解答が得られるようにすることである.
同一の機械を用いて同一の問題を処理する場合でも, その手順の総合の仕方によって,
いく種類ものプログラミングが考えられ,
そしてそれぞれ正しい解答を与えてくれるであろう. <p>
ここで我々の研究すべき``計算機械のプログラミング''の問題とは,
計算機械にとって, 時間的にも, 計算機械の容量の点からも最も経済的であり,
得られた解答の精密さ,
信頼の高さの点で最も優れているようなプログラムはいかなる形式をもっているか,
またそれをいかにして作るか, ということである.
そしてプログラミングにはかなり機械的な作業を要するから当然の結果として,
プログラミングの一部を計算機械自身に行わせるためのプログラムを作成する必要が生ずる.
さらにつけ加えて考えるべきことは,
プログラミングを十分考えた上の計算機械そのものの設計改良が行われなければならない段階にありながら,
現在はそれが考えられいないといってもよく,
ここにもわれわれの研究の現実的な寄与が期待される. <p>
以上述べたような, 計算機械の機能の充分な発揮, 成果の向上, また,
実際の問題のプログラミングを行うに際して生ずる計算機械の機能に対する問題点の整理検討と,
それによる将来の計算機械への示唆等を目ざして, 計算機械について研究し,
かつ他の専門分野をもついく人かの研究者のグループによって,
さしあたりまず現在最も基本的なものとして要求されている4つの事項(研究内容参照)について,
各種の計算機械, 各種の問題について有機的な関連のもとに研究を行っていく. <p>
また第1年度の研究計画として同調書に以下の如く記されている. <p>
1. 標準問題の作成: 科学技術計算および事務計算の分野で,
それぞれ典型的と思われる種類, 大きさの問題を選んで組み合わせ,
人間に対する知能検査と同じように, この問題を用いて, 計算機械の性能を試験して,
実際的な観点から種々の項目について評価し,
さらに実用上意義ある能力の総合的判定を可能にする. <p>
これによって, 各計算機械の性能と特徴が明瞭になり,
すでにでき上がった計算機を利用する上に参考になるばかりでなく,
さらにまた新しい計算機械を設計する時の具体的な目標が設けられるようになる. <p>
2. 各種計算機械の比較研究:
諸大学その他の研究機関から研究員を派遣してもらい,
利用可能な計算機械によって基本プログラミングを学んだ上で,
研究員は手分けして各種の計算機械のプログラムを作成し計算を行わせる.
これらを行う間に得られた資料に基き, 計算機械の実際的な比較ができると同時に,
計算機械の全国共同利用に関する一つの試みをすることができる.
またこれによって, 計算機械のプログラミング研究を全国的にして,
多くの頭脳を結集し,
より能率的によりよいアイディアを生かした優れたプログラムの生産を行う契機とすることができる. <p>
3. 特別な問題のプログラミング: 他の研究班で必要とする計算で,
特に研究に多くの時間や特別の知識を要求されるやや困難なプログラミングの問題になるものを取り上げて実行する.
たとえば, 定理の証明を機械にやらせるためのプログラミング,
原子物理学上の問題のためのプログラミングなどが提案されている. <p>
このような問題は, 各所で解決を要求されるているが,
多くの人々が別々に研究していたのでは, 非常に困難であるとともに,
努力の重複による無駄を避けられない. これを,
このような研究グループを中心にして統一的に協力研究することは,
実際上においても大きな価値がある. <p>
4. 自動プログラミング:
計算機械にかける個々の問題のプログラムを計算機械自身に作らせることを研究する.
またさらに, 計算以外の判断を伴った仕事, たとえば分類,
翻訳等を計算機械にやらせる仕方についても研究してゆきたい. <p>
これらの研究によって, 各人が,
個々の計算機械を使う特殊な``言葉''を習う必要がなくなり,
多種多様な問題をいちいち特殊な訓練,
教育を受けた人をわずらわしてプログラムすることがさけられ,
計算機械を可能なかぎり広範囲の仕事に従事させられることを可能にして,
人間の能力をより自由に働かせることが期待され,
将来の大きな夢の実現に一歩近づけることになる. <p>
5. その他の活動: < シンポジウム > 各グループの会合を行うと共に,
全国から計算機械およびそのプログラミングの研究者を招いて, 広い視野から,
この目的に沿った意見の交換を行い, 研究成果を広めるとともに,
より一層健全な方向に研究を推進するための会合を,
時間と費用の許す限りの回数行いたい. <p>
< 研究速報の発行> ある部分について研究がまとまった都度,
グループの内外の研究者にそのリポートを送り,
直ちに実用に供することを可能にすると同時に大方の意見を得たい. これによって,
研究活動がよりダイナミックに進行することであろう. <p>
<font color="blue">6.2.2 プログラミング・シンポジウムの開催</font>
前記の研究計画の第5項に記されたシンポジウムは,
`電子計算機用プログラミング・シンポジウム'として昭和35年1月10日〜13日の間,
神奈川県大磯の大磯ホテルに54名の研究者を集めて開催された.
シンポジウム開催準備のために幹事会が設けられたが,
その構成は下記の通りであった.
<pre>
幹事長 浦 昭二
幹事 有山正孝, 清水留三郎, 高須 達(後に米田信夫と交替),
戸田英雄, 永坂秀子
</pre>
シンポジウムは5つのセッションに分かれ,
各セッション毎に下に示すメインスピーカが話題を提供し,
これをめぐって討論を行う形式で進められた.
<pre>
A: サブルーチン(関数近似を含む)
山内次郎, 戸田英雄: 有理関数による近似
B: 線型計算および固有値
島内武彦: 行列の固有値
鈴木誠道: 線型計算
C: 高精度計算
高橋秀俊, 石橋善弘: 行列式その他のexact calculation
宇野利雄: 一, 二の慣用計算におけるNumerical Instabilityについて
D: 自動プログラミング
森口繁一: International Algebraic Language (ALGOL)について
E: 特殊な問題のプログラミング
池野信一: 増山の問題(巡回差集合による直交配列表の生成)
高須 達, 杉林益太郎, 藤川洋一郎: 定理の証明を機械で行う問題
</pre>
実際には上記の発表を含めてAで5件, Bで4件, Cで2件, Dで3件,
Eで5件の研究発表があり, 討論は深夜に及んできわめて活発に行われた.
その当時国内で研究に利用できた電子計算機は僅々十数台に過ぎず,
その性能も今日のパーソナル・コンピュータ以下のものであったことを思えば,
このシンポジウムは非常に水準の高い内容の充実したもので,
黎明期にあった我が国の計算機研究に与えたインパクトは少なくなかった. <p>
シンポジウムは次年度以降も継続して毎年1月に開催されることとなったが,
計算機人口の急増に伴ってシンポジウム参加者も表6.1に示すように増加し,
幹事団は会場の設営とプログラムの編成に苦労した.
なお参加者は大学・研究所関係者に限定せず,
計算機メーカーおよびユーザからの参加も少なくなかった.
ただし科学研究費補助金による活動であったため,
これらの会社関係者には合宿の経費を自己負担していただいたのであった. <p>
表6.1 プログラミング・シンポジウム参加状況
<table>
<tr><td align="center">年度</td><td align="center">大学関係者</td><td align="center">会社関係者</td><td align="center">合計</td></tr>
<tr><td align="center">34</td><td align="center">34</td><td align="center">20</td><td align="center">54</td></tr>
<tr><td align="center">35</td><td align="center">42</td><td align="center">42</td><td align="center">84</td></tr>
<tr><td align="center">36</td><td align="center">63</td><td align="center">51</td><td align="center">114</td></tr>
<tr><td align="center">37</td><td align="center">64</td><td align="center">59</td><td align="center">123</td></tr>
</table><p>
<font color="blue">6.2.3 プログラミング・シンポジウム委員会の発足</font>
`数理科学の総合研究'は昭和37年度を以て終了したが,
プログラミング・シンポジウムの意義を高く評価してその継続を望む声が強かった.
そのため, 運営委員会・幹事会で種々検討の結果,
経費を個人の参加費と計算機関係業界からの寄付に頼って引き続きシンポジウムを開催することとした.
またこれまでの運営委員会がプログラミング・シンポジウム委員会と改称してその運営を担当することとした.
ただしこの時すでに情報処理学会が設立されていたため,
同様の目的・内容を持つ研究活動が異なる母体の下で展開されることは将来にわたって望ましくないとの判断に基づき,
同学会との間で話し合いが行われ,
プログラミング・シンポジウム委員会は情報処理学会の研究委員会の1つとなること,
ただし従来の運営方式を継続して独立採算制をとり,
事務は慶応工学会に委託することで了解が成立した.
こうしてシンポジウムは新しい体制の下で再出発することとなるが,
ここに至るまでの山内先生の御苦労には少なからざるものがあった. <p>
その後20年余の間に運営委員・幹事の交替もあり,
会場も第5回・第6回は伊東のハトヤホテル,
第7回からはモテル・ハコネ(現彫刻の森ホテル),
第24回からは箱根ホテル小涌園と変ったが,
1月10日前後に2泊3日の合宿でパラレル・セッションは設けず夜はいくつかのテーマをめぐって自由討論という伝統の方式は,
今日まで継承されている. 参加者数は増加を続け, 一時は300人を超えるに至ったが,
後に述べるような新しい企画の効果もあって, 概ね200人前後に落着いた. <p>
山内先生は自らも第1回,
第3回〜第8回のシンポジウムで関数近似に関する研究発表をされている.
<pre>
第1回(昭和35年1月)
・大型計算機械用関数近似についての1つの試み
・関数の関数を<i>n</i>回微分するためのサブルーチンとエルミット多項式<i>H<sub>i</sub>(x)</i>のサブルーチン (戸田英雄氏と共著)
第3回(昭和37年1月)
・有理関数近似の一様最良化について
第4回(昭和38年1月)
・奇関数の一様最良多項式近似の折りたたみ計算法
第5回(昭和39年1月)
・正規分布に関する近似関数
第6回(昭和40年1月)
・正規分布の百分率点の一次有理関数近似
第7回(昭和41年1月)
・折りたたみ計算法による一様最良化有理関数近似の例
第8回(昭和42年1月)
・級数の逆転の一般式とそのプログラム (戸田英雄氏と共著)
これらの論文の内容については, 第5章で述べてある.
</pre>
先生は会場では常に最前列に端然と着席されて講演・討論に耳を傾けておいでになり,
しばしば鋭い質問を発して討論をリードされた.
夜の自由討論の席でも深更に到るまで, 時には酒盃を片手に,
孫のような若者達の論争に加わって楽しそうに時を過されるのが常であった.
このシンポジウムの伝統となった自由な雰囲気と率直な討論の習慣は,
先生のお人柄と学問に対する姿勢から醸し出されたものと言っても過言ではなく,
またそれあればこそこのシンポジウムが四半世紀にわたって熱心な共鳴者に支持され,
活気と高い存在意義を保ち続けることができたのである. <p>
<font color="blue">6.2.4 夢のシンポジウムと若手の会</font>
前述のようにシンポジウムは参加者の増加に伴って運営に困難を感じる面も出てきた
ので,
運営委員会, 幹事会で種々検討の結果, いくつかの方策が考えられ, 実行に移された.
<p>
一つは宿題研究で,
一定の課題を定めて次の年にこれに関する研究報告を募る方式である.
たとえば第8回(昭和42年)は`常備分方程式の数値解法(清水辰次郎先生の提起された問題)'と`計算機利用の教育',
第9回(昭和43年)は`数式処理'と`プログラミングにおける誤り'が課題とされた.
この方式は第14回(昭和48年)まで続けられ,
また昭和49年からこのシンポジウムの中で行われているGPCC(Game and Puzzle Competition on Computer)で継承されている. <p>
もう1つの方策は`夢のシンポジウム'の開催であった. 昭和39年1月の運営委員会で,
`将来の計算機の夢を語るシンポジウム'の開催が計画された.
1月のシンポジウムがかなり大人数のものになったのに対して,
夢のシンポジウムは`若くて関心のある人または若くなくても夢のある人'でかつ`積極的に発言する人'を条件として全員発表を建て前とする小人数の会合とし,
時期は夏で日程は1月と同様, 2泊3日にすることにした.
その第1回は昭和39年7月, 熱海の早稲田大学双柿舎に28名を集めて開かれた.
また第2回は翌昭和40年7月, 伊東温泉大東館に30名を集め,
`計測管理の夢, パターン認識についての夢,
データ伝送についての夢'をテーマとして開かれた. <p>
昭和42年夏の第4回`夢のシンポジウム'の際に,
大学院学生の年代の人々を中心として`情報科学若手の会'が自発的に結成された.
シンポジウム委員会はこれに若干の経済的援助をすることを決めた.
その最初の会合は昭和43年7月に開催され, 以来今日まで毎年夏,
全国各大学の大学院学生が回り持ちで企画を立てて続けられている.
若い研究者の育成にとりわけ心を用いておられた山内先生は,
この若手の会に慈父の如き愛情を注いでおいでになったが,
この会で活躍した人々はそれぞれ今日中堅となって先生の御期待に応えている. <p>
この`若手の会'の発足と連動して`夢のシンポジウム'も性格を改め,
特定のテーマについて小人数で突込んだ討論ができるようにして,
1月のシンポジウムと相補的なものとすることとした.
この方針に従って昭和44年夏以来, 毎年1〜2回のシンポジウムが開かれ,
1月のシンポジウムに劣らず活発な発表, 討論が行われている.
各年度の夏のシンポジウムのテーマを表6.2に示す. <p>
表6.2 夏のシンポジウムのテーマ
<table>
<tr><td align="center">年度</td><td> テーマ</td></tr>
<tr><td align="center">昭和44年</td><td>コンパイラ自動作成</td></tr>
<tr><td align="center">昭和45年</td><td>グラフィック・ディスプレイ</td></tr>
<tr><td align="center">昭和45年</td><td>オペレーティング・システムズ</td></tr>
<tr><td align="center">昭和46年</td><td>情報公害</td></tr>
<tr><td align="center">昭和46年</td><td>システム制御</td></tr>
<tr><td align="center">昭和47年</td><td>システム評価</td></tr>
<tr><td align="center">昭和47年</td><td>ミニコンのソフトウェアとネットワーク</td></tr>
<tr><td align="center">昭和48年</td><td>ダイナミック・マイクロプログラミング</td></tr>
<tr><td align="center">昭和49年</td><td>記号処理</td></tr>
<tr><td align="center">昭和50年</td><td>構造的プログラミングとその経験</td></tr>
<tr><td align="center">昭和51年</td><td>職業的プログラマの養成</td></tr>
<tr><td align="center">昭和52年</td><td>マイクロコンピュータとソフトウェア</td></tr>
<tr><td align="center">昭和53年</td><td>日本語情報処理</td></tr>
<tr><td align="center">昭和54年</td><td>よいプログラムを作るには</td></tr>
<tr><td align="center">昭和55年</td><td>作譜工程の評価・改良・自動化</td></tr>
<tr><td align="center">昭和56年</td><td>ソフトウェア業と技術移転</td></tr>
<tr><td align="center">昭和57年</td><td>マイコン・パソコンにおけるソフトウェア問題</td></tr>
<tr><td align="center">昭和58年</td><td>コンピュータにおけるヒューマン・インターフェース</td></tr>
<tr><td align="center">昭和59年</td><td>計算機と音楽</td></tr>
</table><p>
<font color="blue">6.2.5 委員長の交替</font>
昭和50年頃から先生は健康のおとろえを示され,
「監視付きという条件でやっと医者の許可をもらってきたのだよ」と謂われて奥様御同伴で箱根においでになり,
以前のように夜遅くまで若い者たちの論争に加わることも控えられるようになった.
そして昭和54年1月, 第20回シンポジウムの機会に,
後事を高橋秀俊教授に託して運営委員長を辞されたのである. <p>
この年, 無理を押してシンポジウムに参加された先生は,
委員長の後任を選任した運営委員会の翌日, 御病気が急変して呼吸困難を起され,
救急車で小田原の病院に入院された.
それがプログラミング・シンポジウムの会場で先生のお姿に接する最後の機会となったのである. <p>
シンポジウムは高橋委員長の下で従前と変らぬ活気を以て継続されているが,
諸般の事情により, 処和59年度からその事務扱いを慶応工学会より引き上げ,
情報処理学会事務局で取り扱うこととなった. <p>
奇しくもその事務引きつぎの終了した3月31日,
我々は山内先生の訃報に接したのである. <p>
昭和60年1月, 第26回シンポジウムは山内先生の御遺影を会場に掲げて開催された.
かなりお若い頃のものと思われる先生のお写真は, 在りし日の先生が,
何時もそうであったように, 柔和な微笑をたたえながら鋭いまなざしで,
参加者の討論を厳しくしかし暖かく見守って下さっていた. <p>
なおプログラミング・シンポジウムの創設とその発展に尽くされた先生の多大の御貢献を記念して,
有志の者が集まって昭和59年1月, 山内記念会を設立したことを申し添えておく.
この会は計算機のプログラミングに関する優れた業績を顕彰し研究を奨励することによって学術文化の向上発展に寄与することを目的とするものである.
この会の活躍を通じて, 山内先生のお名前は関連分野の研究者の間に永く伝えられるであろう. <p>
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(浦 昭二, 有山 正孝)
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